スズキ「チーム俊宏」に移行 修会長退任、外部人材活用

 鈴木 修 様

 知力・体力・気力・健康、他全てが素晴らしい‼

スズキの鈴木修会長㊨と俊宏社長(2017年の株主総会)
スズキの鈴木修会長㊨と俊宏社長(2017年の株主総会)

 スズキを社長、会長として40年以上率いた鈴木修会長(91)が退任する。強力なトップダウンで経営を指揮してきたが、1日に62歳になる息子の鈴木俊宏社長を補佐する専務役員を1人から一気に6人に増やすなど、集団指導体制への移行を進める。こうした「チーム俊宏」が修会長の退任後もうまく機能し、電動化対応などの荒波を乗り切れるかが課題となる。

「会長を退任します」。2月24日午後、浜松市のスズキ本社で開かれた臨時取締役会。修会長の発言に、居合わせた役員たちは言葉を失った。かすかな予感を抱いていた俊宏社長にさえ事前には知らされない「サプライズ退任」だった。6月の株主総会後に相談役に退く。

 修会長は2015年に俊宏氏に社長職を譲った後も「生涯現役」を公言し、経営への影響力を保ってきた。高齢のため「軽妙な語り口の『オサム節』は以前に比べて減ってきた」(地元関係者)との指摘はあるものの、なぜ退任を決めたのか。

「ここ1年で俊宏社長が社内会議を仕切るようになってきた」。あるスズキ幹部は俊宏社長の「成長」をこう語る。例えば24日に発表した中期経営計画を決める過程では、修会長が口をはさむこともあったが、ほとんど俊宏社長が主導していたという。「2人の考え方や方向性が次第に一致してきている」(幹部)

 かつて修会長が後継者と考えたのは経済産業省出身で娘婿の小野浩孝専務役員。ただ07年に病気で他界した。日本電装(現デンソー)を経てスズキに入社した俊宏氏を社長に昇格させたものの、修会長は控えめな性格の俊宏社長の指導力に注文を付けることもあった。

だが退任会見から一夜明けた25日朝。修会長は記者団に俊宏社長の手腕を「まあまあですね」と評価した。さらに「若手の経営陣の協力を得てチームスズキとしてやっていくことは保証されている」と付け加えた。

その真意は24日に発表した執行役員人事に透けて見える。4月に5人の常務役員を専務役員に昇格させ、専務役員を1人から6人に増やす。俊宏社長をより手厚くサポートする体制を整える。

 このうち2人は外部から招いた50代だ。現在、社長補佐の石井直己氏(55)はトヨタ自動車出身。インド法人の社長などを経て、20年10月にスズキ入りした。6月以降は経営企画室長も兼ねる。事業や商品の企画などに精通するほか、「明るくて人との距離感を詰めるのがうまい。修会長にもモノを言える立場」(関係者)との声が上がる。

 四輪パワートレイン技術本部長の山下幸宏氏(53)。俊宏社長の古巣でもあるトヨタグループのデンソーから18年にスズキに転じた。「エンジン開発に詳しい」(サプライヤー)との評価がある。スズキは19年にトヨタとの資本提携を発表するなど関係を深めている。

 スズキの経営は修会長の「カンピューター」と呼ばれる独特の勘に頼る部分も大きかった。ただ今後の集団指導体制では議論やデータを十分擦り合わせたうえでの合理的な意思決定が不可欠だ。

 修会長は外部登用の2人について「科学的な理論に基づく経営や技術開発で新風を吹き込んでくれている」と語る。俊宏社長も「視野が一段広い」と認める人材で経営体制が強化される。修会長と原山保人副会長(64)は退任し、名実ともに俊宏社長がトップになる。

 国内ではスズキが得意な軽自動車も含めて、2035年までに全ての新車を電動化することを迫られる

 一方、修会長の退任後の経営を懸念する見方もある。25日のスズキ株は一時前日比4.4%安まで下げた。世界の車大手が脱炭素に向けて電気自動車(EV)などへのシフトを急ぐなか、安価で小さな車が強みのスズキは電動化で出遅れている。俊宏社長が24日に発表した5カ年の中計では「目標とする電動車の比率や台数などを示さず、物足りなさが目立った」(ナカニシ自動車産業リサーチの中西孝樹代表)。

 修会長は退任会見で「若手のチーム力を利用して2030年、50年につなげてほしい」と語った。修会長が人事という形で残した置き土産を生かせるか。新体制の力量が問われる。(為広剛、新沼大)

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