震災前の暮らし、ほど遠く 原発事故の一律賠償 3月末終了に募る不満 (災害考)

更地が増える町の状況を懸念する脇沢さん(福島県楢葉町)
更地が増える町の状況を懸念する脇沢さん(福島県楢葉町)

●3.11が近づくと、まだ鮮明にあの震災の出来事を 想いだします。 犠牲者の方々、ご家族には、改めましてお悔やみ申し上げます。 『東京電力福島第1原子力発電所』の地震対策が万全を期していたのか(冷却水用のポンプの位置を高台にして津波の被害を防ぐ)をしっかりと十分に検証を行うことが、これから起こる日本の巨大地震の減災に繋がることと思量いたします。また、それを行うことでこんなにも、過酷な生活を強いられている人々を支援する体制の構築も進むものと願います。

                                                                         2018/2/19付 情報元 日本経済新聞

 朝刊東京電力福島第1原子力発電所事故で避難を余儀なくされた福島県の人々に対する東電の一律賠償が3月末で終わる。避難指示解除区域が事故前の生活を取り戻すにはなお長い時を要するが、解除を機に仮設住宅の閉鎖や固定資産税の徴収再開など、被災者の歩幅と合わない動きが目立つ。

「月10万円の賠償金は使わずに貯金してきた。春からは少しずつ取り崩すことになる」。二本松市の復興公営住宅に夫(85)と暮らす女性(82)は4月以降の金銭的負担の増大に不安が募る。

 浪江町の自宅が立つ区域は2017年3月末に避難指示が解除。自宅は築14年で傷みは少なく、国費による自宅解体に踏み切れないでいる。夫はこの7年間で複数の疾患が進行。医療費無料措置が継続されるかという心配に加え、固定資産税の負担を懸念する。

 原発事故による避難者に、東電が精神的苦痛の賠償として支払った額は17年末時点で約1兆円。帰還困難区域の被災者には1人700万円を追加して計1450万円、同区域以外で17年4月までに解除された区域住民には850万円だが、支払いは3月末で終了する。

 避難指示解除の意味について、国は「放射線量が低下し、事故前の環境に戻った」とし、地元自治体も事故による特例措置を取りやめ始める。その一つが固定資産税の課税だ。

 避難指示解除の翌年から3年度は課税額を半分とし、残りも市町村が条例で負担を軽減するケースが多いが、15年9月解除の楢葉町は17~18年度は2分の1、19年度に通常課税となる。16年7月解除の南相馬市も18年度から4分の1になる。

 浪江町の今春以降の課税は未定。冒頭の女性は「課税が始まると支払えるだろうか」とこぼす。

 県内で唯一、仮設住宅の供用を3月末で終了する楢葉町。いわき市内の仮設に夫と高齢の母と暮らす木村洋子さん(67)は町内の自宅を改修して4月から住む予定だが、「家のまわりは解体されて更地の所が多く、治安などの不安は大きい」。

 「仮設住宅での暮らしもリフォームも多額の金がかかったが、事故がなければ不要だった出費。一方的に賠償を打ち切るのは、避難者の生活の過酷さがわかっていない」とも話す。

 楢葉町で新聞販売店を営み、町内に詳しい脇沢利光さん(69)も「借地の上にあった家の多くは公費解体後に建て直されず、空き地だけ増える。町民が戻らなければ事業は成り立たない」と憤る。事故前の新聞配達先は約800軒で、現在は350軒。個人事業主に東電が支払う営業賠償も3月末で終了し、4月以降は個別交渉次第という。

 南相馬市小高区の住民が東電に損害賠償を求めた訴訟で東京地裁は7日、賠償基準より1人当たり300万円の上乗せを命じる判決を出したが、原告は「故郷の暮らしが元に戻るわけではない」と顔を曇らせた。同市の旧避難区域の居住率は17年末で事故前の3割に満たない。

 原発事故被災者の多くが求め、願い続けているのは元にあった暮らしとそれを裏付けるコミュニティーの復活だ。国と東電の重い責務は賠償終了後も続く。

(小林隆)