『直前予知可能』の前提崩れる  政府、地震対策見直し   

報告書を小此木八郎防災相(右)に提出する平田直・東大教授(9月、内閣府)


 政府は東日本大震災と同じマグニチュード(M)9クラスの巨大地震が予想される南海トラフで新たな防災体制の構築にとりかかる。これまで南海トラフの一部で発生すると考えられていた東海地震に焦点を当てていたが、前提としてきた直前の予知は困難とする専門家の報告がまとまったためだ。巨大地震を引き起こす南海トラフとはどのようなもので、なぜ対策は見直されるのだろうか。

 「現時点では現行の地震防災応急対策が前提としている確度の高い予測はできない」。9月26日、南海トラフ巨大地震の防災対策を議論してきた作業部会の主査で、東京大学地震研究所教授の平田直さんは会見でこう話した。

 1978年にできた大規模地震対策特別措置法(大震法)は、南海トラフの東端にある静岡県の駿河湾付近で発生する東海地震を想定。数日後に大きな地震が起きることが確実に予測できるという前提にたっている。地震が近いと判断されれば首相が警戒宣言を出し、新幹線や鉄道を止めて、百貨店や映画館も営業を中止、学校も休んで事前に避難する。その直前予知という前提が、報告書で否定された。

 地球の表面にはプレートと呼ばれる厚さ数十キロメートルを超すかたい岩板がある。プレートはいくつにも分かれて少しずつ移動していて、2つのプレートがぶつかり合う境目に、海溝やトラフと呼ばれる深い溝ができる。駿河湾から九州沖にのびた南海トラフは、太平洋側のフィリピン海プレートと日本列島側のユーラシアプレートがぶつかる場所だ。

 ぶつかったフィリピン海プレートは日本列島の下に沈みこむ。このときフィリピン海プレートは、ユーラシアプレートの端を一緒に下へ引きずり込む。引きずられて曲がったユーラシアプレートは、一定以上たつと元に戻ろうと境目が壊れて跳ね上がる。これが海溝型と呼ばれる巨大地震がおこる仕組みだ。

 フィリピン海プレートは1年に4センチメートルの速度で沈みこんでいて、南海トラフではこれまで100年弱から150年程度の間隔で大地震が繰り返し発生している。ただ、南海トラフは広く、常に全体が震源となっていたわけではない。震源は大きく3ブロックに分かれ、それぞれのブロックを震源とする地震は東から順に、東海地震、東南海地震、南海地震と呼ばれている。

 過去の地震の起き方はさまざまで、1707年の宝永地震ではほぼ3ブロック全域が連動した大地震が起きたとされる。1854年にはまず東側で安政東海地震が起き、その32時間後に西側で安政南海地震が発生した。1944年には、東側で昭和東南海地震が起き、その2年後に西側で昭和南海地震が発生した。次の地震がどう起こるかは今の科学では予測できない。

 それにもかかわらず大震法で東海地震だけを想定していたのには理由がある。1944~46年に南海トラフで昭和東南海地震や昭和南海地震が起きたが、東海地震だけは発生しなかった。「プレートが割れ残っていて、大地震が起きる可能性が高いと当時、判断された」(平田さん)

 しかし、すでに前回の南海トラフでの大地震から70年以上がたち、東海以外の地域でもプレートのひずみが再びたまっている可能性が高くなってきた。「次のサイクルを南海トラフ全域で心配した方がよいのでは、となった」と東大地震研教授の佐竹健治さんは指摘する。

 約40年前、直前予知ができるとされたひとつの根拠は、プレスリップと呼ばれる現象だ。1944年の昭和東南海地震の時のデータから、地震の前には地殻が動くと考えられるようになった。その動きを捉えようと全地球測位システム(GPS)や地震計など観測網が整備されてきたが、実際の大地震でプレスリップが観測された例はない。

 事前予知が難しいとする一方で、作業部会は南海トラフ地震の前に起こる典型的な異常現象を4つあげている。東側での大規模地震の発生、巨大地震よりひとまわり小さいM7クラスの地震の発生、東日本大震災の時に観測された先行現象が多数発生、プレスリップの発生だ。

 しかし現在の地震学ではまだ限定的なことしかわからず、事前に異常現象が起きるとは限らない。南海トラフで巨大地震が起きれば、最大32万人の死者・行方不明者が出ると政府は想定している。名古屋大学教授の鷺谷威さんは「不意打ちで来る方が可能性は高い」と警告、想定ケースに縛られない対応が必要だとしている。(藤井寛子)