貞子の折り鶴 米原爆訓練地へ

 広島市の平和記念公園にある『原爆の子の像』のモデル。

 

 佐々木 貞子さん 2歳で被爆。白血病を発症し、病床で回復を信じて鶴を折り続けたが、1955(昭和30)年12歳で亡くなった。 

*鶴を折ることで、病気回復の願いが叶うと信じて……

 12歳の少女の生きたいと想う『こころ』は家族のことを想い、友達のことを想い、学校にも行きたかったろうにと思うと涙が流れます。

写真:アリゾナ記念館ビジターセンターに展示されている佐々木さんの折り鶴(米ハワイ・オアフ島)
写真:アリゾナ記念館ビジターセンターに展示されている佐々木さんの折り鶴(米ハワイ・オアフ島)

ウェンドーバー=共同】広島で被爆し亡くなった佐々木禎子さんが闘病中に作った折り鶴が5日午後(日本時間6日午前)、第2次大戦中に爆撃訓練などが行われ、原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の格納庫も残る米ユタ州のウェンドーバー空軍基地跡の博物館に寄贈された。

寄贈の式典は原爆投下から72年の「原爆の日」に合わせ、エノラ・ゲイの格納庫で開かれた。折り鶴は博物館で展示される。出席した禎子さんのおいで被爆2世の祐滋さん(47)は「かつてエノラ・ゲイが飛び立った場所に折り鶴を贈り、平和を訴えることにはとても意義がある」と強調した。

 祐滋さんらは各国や日本各地に折り鶴を贈る活動を行っている。米国ではニューヨークの米同時テロ追悼施設やハワイの真珠湾などに贈っており、今回で6カ所目の寄贈となった。

 「昨年のオバマ前大統領の広島訪問で、広島の原爆被害への認識が世界に広がっているとの実感がある」と祐滋さん。国連で核兵器禁止条約が採択されたことに触れ「われわれの活動はささやかだが、平和の尊さを訴えていきたい」と述べた。

 祐滋さんによると、原爆開発が行われたニューメキシコ州ロスアラモスにある博物館への寄贈も決まり、早ければ年内に贈るという。

 禎子さんは2歳で被爆。白血病を発症し、病床で回復を信じて鶴を折り続けたが、12歳で亡くなった。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになった。